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トマス・ピンチョン、苦痛です [本]

 トマス・ピンチョン『メイスン&ディクスン』(柴田元幸訳、新潮社、2010年6月)を読んでいる。「読んでいる」と現在形で書いたのは、逆説的ながらそろそろやめようかと思っているからだ。まだ上巻の400ページ付近なのだが……。

 この本、ハードカバーで上下巻あわせて1100ページに及ぶ大作だ。独立前のアメリカで、メリーランドとペンシルバニアとの間に境界線を引くために新大陸に渡ったイギリス人二人、天文学者のチャールズ・メイスンと測量士のジェレマイア・ディクソンの珍道中を、(たぶん)一緒に旅したチェリコーク牧師が甥っ子、姪っ子たちに語るというお話である。両者の名前は、南北戦争以前の自由州と奴隷州を区切る「メーソン=ディクソン線」として知られている、という(訳者あとがきより)。つまり、実在の人物を主人公にした、虚実ないまぜの時代小説とも呼ぶべきものである。

 ただし、決して伝記でも実話でもない。しゃべる犬が登場したりして幻想的だったり、好色なティーンエージャーのオランダ人3姉妹が出てきてエロティックだったり、西洋古典の博識にひねりを入れた表現で笑いを誘ったり、ソフィスティケートされた内容が、教養ある西洋人には面白いのだろう。私には、その鼻もちならない西洋的な饒舌と皮肉たっぷりの表現にちょっとうんざりである。

 同じく上下2巻の長編小説でも『ダ・ヴィンチ・コード』は1週間で読んでしまったが、これはお手上げだ。はっきり言えば、面白くない、のである。

 つい先日にはレイ・ブラッドベリの『華氏451度』を読んだばかりであるが、こちらも感動という心地とは程遠い気分で読み終えた。書籍を燃やすファイアマン(消防士ではない!)という職種、近未来社会の示唆としては面白いね、ネットがはやってますます僕らはまとまった思考ができなくなったし、それに、それを紙が燃え始める温度をタイトルにするとは洒落ているね、なるほどなるほど……。こんな具合で内容に対して知的分析はを行うことはできるが、描写や文章表現を味わったり、物語に感情移入していく、ということはできなかった。

 小説はもういい。

 作りごとの世界に浸れなくなったのである。最近、よく読むのは、評論(文芸評論ではない)や、ポピュラーサイエンスや、歴史といった分野の本ばかりである。自分の頭脳がますます散文化しているのだろうと思う。
 もし小説を読むとしたら、歴史小説かな?
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